2011年3月11日金曜日

正常な家庭と、そうでない家族ではなにがどう違う?

 困難を乗り越えるライフスキルを持つ努力が違います。





人気女優の薬物問題が起こりました。薬物は人間を滅ぼすと繰り返し報道されています。
確かにそうですが、 彼女自身の本当の問題は「薬物」そのものではありません。

薬物を使うに至った「正常に機能しないシステム」が彼女に内在していることが、彼女の問題であって、どのようにして機能させるかが今後の課題なのです。

よく受講生やお問い合わせいただく方々から聞く言葉があります。

「うちの親はイチローのような親ではない」「うちの家庭は、問題がある」
「親は自分に正しいあり方」を教えてくれなかった・・・等など。

では、彼、彼女の言う「正しい家族」とは、どういう家族なのだろうか?
ホームドラマのモデルになるような家族をイメージしているのだろうか?

事件の渦中にいる人気女優 が騒がれるのも「虚像」と「実像」のギャップが大きすぎたことも原因です。それと同じで「正しい家族」のイメージとは虚像でしかない。

家族は、ほとんどがなんらかの問題を抱えていて、日々苦闘しているものです。

つまり、正常な家庭とは、家族のシステムが機能しているか、どうかで判別するしかありません
システムを機能させるにはルールが必要です。

家族は親。兄弟でも個人の集まりです。
機能している家族とは、個人全員が機能していることにつきます。
しかし機能不全の人がいたとしても、可能性を信じて、互いが協力して、可能な限り機能させることで、家族として機能する仕組みがある。
それが機能している家族です。

機能している家族では、ルールはシンプルで現実的、柔軟で、寛容です。
ひとりひとりの、考えの違いを汲み取って成り立っています。
機能している家族は開放的で、ルールには一貫性があり、日や時間によって変わることもありません。

特別な状況に遭遇して乗り越えようとするときも、人間的なぬくもりを忘れません。
とても大事なことです。
どんな場合も家族全員が従えるルールである点で平常と変わりません。
これも、同じく大事なことです。

こどもは、こどもであることを許されているだけでなく、そのルールが守られています。自分がすること、これからなにをどうするのか、期待されていることを知っています。おかげで、こどもは親を信頼することができます。

「互いに尊重して、迷惑をかけないように、自律しないさい。自分の持てる力を使い切りなさい。それでもうまくいかない時には,、お父さんか、お母さんに知らせない。助けてあげる。
嘘をつかないようにしないさい。約束は守りなさい。感情的になってはいけない。乱暴なことをしてはいけない。虐待してはいけない。弱い人にはいたわりを持って接しなさい。」

こういうルールを持った家族では、「家族」「近隣」「クラス」「職場」・・・などあらゆるチーム、共同体にも、家族のルールを基礎的に使用することを奨励します。
同時に個人を尊重し勇気づけます。自立が推奨されます。

個人が主体的あることがなにより推奨され、自分の出来ること、自分の物を持つこと、自分と他者の境界を持つことが家族のもとで許されます。

こどもは刻々と変わる状況に対処する方法と責任の引き受け方をルールから<誕生から成人になる全プロセス(アサーティブな子育て)>の時間をかけてゆっくりと学びます。

一方、機能しない家族では、ことごとく反対です。そして閉鎖的で感情を表現しても見捨てられ感が残ります。幼いこどもにとって見捨てられ感は生命の危機を感じる恐怖です。

この恐怖から自分を守る方法は、とにかく気に入られることです。
そのためには必死のコントロールが必要になります。コントロールがバレないように細心の注意で実行します。悲しいことですが、4歳で愛想笑いをする子もいるのです。

自分の感情を認めないことは安心です。知らないことは、恐怖からすこしでも遠のく手段だからです。
見ない、言わない、聞かないことにします。
それでもコントロールは機能しません。それは恐怖の瞬間です。
繰り返し繰り返し無力感と見捨てられ感を味わいます。

それを隠そうとします。もし、求めていることを知られたら、悲しんでいることを知られたら、逆手にとられて、さらに強い無力感と見捨てられ感を味わうことになるからです。

どのような状況にあっても何事もなかったように、順調であるかのようにふるまいます。

ゲンキポリタンのライフスキル講座「自分を好きになる作法」では、何事もなかったように、順調であるかのようにふるまう人たちがたくさん受講されています。
自分が抱えている事実に向き合うことで、混乱する方がいます。

しかし、それこそ気づきの始まりなのです。

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